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詩人ワニ madozukin.exblog.jp

マンガと詩


by madozukin

桐島、部活やめるってよ

 この映画に、桐島本人は登場しませんが、彼を取り巻く状況が徐々に見えてくる構造を持ちます。ドキュメンタリーに近い手法で、そのとき主となる人の目線によって、風景がまるで淡い水彩絵の具の滲んで、色の重なりを作り出すように映し出されます。

 高校の頃、クラスや学年・部活があって、一種のヒエラルヒーが築き上げられます。一つの色は、一つだけでは意味を持ち合わせませんが、重なることで色彩が生まれるように感情が生まれます。花形のバレーボール部、あまりぱっとしない野球部に、きちんとまとまりのある軽音楽部、オタクの巣窟である映画部。それから、部活やらない帰宅部等々。誰が誰とつきあっているか、勉強の順番も。
 
 桐島は、その中心にいた人だったのに、彼が止める決意をしたことで、何となくあったヒエラルヒーに揺らぎが生まれ、別の側面を見せ始めるのでした。

 ポスターの中心には、神木くんが演じる映画部の前田が映っているけれども、主役は何となく彼の構えているパーソナルで手間の掛かる6ミリという撮影機材そのものなんじゃないかと思いました。そうでないと、この複雑な色味をだせないというか。誰かが主人公であるという話ではなく、ある者は人気者の男子とつきあっていることがステイタスだし、ある者は部活の試合に勝たねばならないと思い詰めます。しかし、そうありたいというのと、そうなり得ない自分には非常にデリケートな距離あります。そのゆらゆらして、後ろめたくもどかしい頼りない感情をあまり説明しないで、場面を重ねることで浮き上がらせる工夫がありました。それこそ細心の注意を払って。

 手間の掛からない簡便なデジカメでは、自ずと象徴される意味合いも変わってくるでしょう。

 最期、自主ゾンビ映画の監督である神木(前田役)くんが、行けているのに本気を出せない(出さない)宏樹くのインタビューをします。ヒエラルヒーそのものはフラットで残酷だけど、6ミリを通して見つめる設定が視線を和らげる効果にもなっていて、本当にいい場面です。カメラの機能が、暴くのではなく、パーソナルな距離感を与えたように見えました。
by madozukin | 2013-01-21 03:29 | 映画