泣いた赤鬼、または、仲良くなる順番

 子供の頃、父親が買ってきたひろすけ童話の中に、その話はあってなんだか腑に落ちませんでした。いなくなった青鬼がかわいそうでもなく、泣いている赤鬼が何でそんなに泣いているかもぴんと来ません。赤鬼が望んでいる通りに、村人と仲良くなれたのだから、それでいいのにとか、泣き続ける意味が分からなかったり。子供には、取り返しのつかないことが理解できなかったかもしれません。

 もやもやするわけです。印象的なもやもや。で、現在は資料に中りやすい時代なんでウェブ検索。
 いろんな人の感想が読めます。赤鬼は、村人に好かれることを望んだ結果として本当の友人を失った説も、青鬼も何とか村人と赤鬼の仲間に入れてあげたい感情論もありました。でも、実際のところ、青鬼が張り紙に書き残した通りです。【ぼくと仲が良いことが分かれば村人の怒りを買うだろう、だから、ぼくは去ります】

 さて、かわいそうというのは、日本的な共依存感情で、欧米文化の方々はむしろ取引や契約に敏感です。日本だって、丸っきりそういうものを無視ではなく、文化的に見えにくくしてあるだけだったりも。赤鬼も、余り自覚せずに、青鬼に相談し願った通りになりました。その時の契約内容は以下の通り。
 
 ぼく(青鬼)が、村人の里を荒らしに行くから、赤鬼は村人を守る側に立ちなさい、そしたら君は信頼されるだろう。

 この時点で、青鬼が去ることの予感があるのに、赤鬼はうっかり承知してしまいました。 

 一人、大層面白い回答をしている人がいて、目から鱗が落ちたのでブログを更新してます。それは、仲良くなる順番が間違っているという指摘でした。人は、役目があること(全うする)によって、居場所を作り、その中で親しくなると。最初から親しさを望むから致命的な間違いを冒したという説でした。青鬼は、それを唆したひどい奴という飛躍はさておき、仲良くなるために仲良くすると言うのは、中々(非常に)難しい。赤鬼ではないけどいろいろ齟齬を来します。
 
 赤鬼は、自分の役目が、悪い青鬼から村人を守る役目であることに気づいていません。そして、村人と仲良くなれることの代償として使ってしまったのでした。村人と仲良くなれて、即幸せになれないところが、人間の複雑さを表しています。人間は、一人であると同時に集合でもあり、しかし内なる青鬼を捨てたのでは決定的に足りないようです。それは何でしょうね?
 
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by madozukin | 2013-02-28 16:56