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 わたしは、ははからこころが優しいと言われて以来、それを信じなくなった。なぜなら、その時それとは大凡かけ離れた心情だったから。余裕があればそれをできるが、余裕がなければできない。

 だから、気持ちが悪いのは限度を知らない人たちだ。限度を無視して押し入ろうとする性向だ。限度があると言うことは自分のちっぽけさを知っていることだろうな。ちっとも美しくもないけれど、冷静はつまらないけど、その範囲を知っていることが安全管理だ。

 昨日、手紙を投函した。ことの状況に対して、適切な時期に激情にかられないよい判断が出来たと思う。拍手喝采ものだ。でもさ、些細で問題にもならないことだけど、わたしはわたしよりつよい人に一度で良いから守られてみたいと思うのだよ。無理矢理しっかりしているのって、薄皮まんじゅうのように心もとないもん。

 リスクを取れない人って、まあ何というか、色気がないよね。余情がないとも言えます。うーん、あっという間に何かが終わりました。。
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by madozukin | 2009-02-28 01:52 | メモ
 まだ景気が良かった頃、京都市内の巡回バスに乗っていたとき、それは大きな2カラットもあろうかというダイヤの指輪をはめていたご婦人と乗り合わせたのでした。何というか、そぐわないのでした。市バスに。お洋服に。ご本人にも。豚に真珠ということわざありますが、ごろりと似つかわしくなくそれはそこにあって、宝石の美しさを感じられません。

 でも、高そうな宝石なのでついじろじろと見てしまうのです。

 価値ということを考えています。人間は、価値を巡って一喜一憂しますね。でも、わたしにとって大事なことが人にも大事だとは限らないのだ。価値がぶつかり合って、相手を自分を傷つけることがありまして、境界を無視しても、一体感を求めすぎる人を空恐ろしく感じます。おそらくかつての親を思い出して、よくない方に機嫌を取ってしまうからでしょう。恐怖から適当にあしらえないのです。
  
 あの人達は、興奮して劇的で激しいのですが、まあ、空虚な分だけ大袈裟とも言えます。もともと人というのは空なんですが(仏教において)、絶対を求めてたい人は、空虚をことさらに感じやすいのでしょう。空虚に敏感になって、何もかも掌握したくなったり、必ずあると思いたいのです。彼等にしか見えない化け物が芸術的であれば素晴らしい発見ですが、所詮ただのヒステリーだもの、不安のためのコントロール欲は笑えません。。

 ああ、しかし、モデルとしたらやっぱおもしろいなー。まずいなー。
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by madozukin | 2009-02-24 01:02 | メモ
 好きだとか嫌いだとか、あんまし意味ないじゃんと思うのは、確実に年をとった証拠なのだろう。好きというのは、その時の一致だから、嫌いも、その時の不一致(欠落)だから、それでいーじゃんかようと思うのである。

 なんでも絵で考える訓練。。「ノルウェイの森」を読んでみようと思う。わたしは、春樹さんとは関係ないのである。好きな文体でないし、とっかかりが見つからないので、過去に二度失敗してる。この頃音楽的な文章だと思うようになった。整合性を求めてはいけないのだ。
 あの時好きではなかったが、心地よいものの中に不都合とか欠落を描いてあって、それには今とても興味があります。

 分析趣味からいくと、主人公の「ワタナベ君」はファーストネームじゃないのだ。ワタナベ君について、彼と寝た(つき合ってくれた)女の子(人)たちが語る手法によって輪郭がもたらされる形式なんだが、「ぼくはぼくじゃなかった物語」とも言えます。ふつうは、ぼくはぼくだって言いたいところがあるからさ(純文学では良く)、それに馴らされていると、少々ではない嫌悪感が湧きますね。もう生理的に。

 だから、それを意識したところで、わざわざ「ワタナベ君」て表記されてるはずです。ワタナベ君は、ワタナベ君ではなかったのでした。いやはや。そんで、自己の解像度が不鮮明な(もしくは混乱している)人ほど、わたしがわたしでないことにいらだちます。わたしはわたしであると言いたい欲望が疎外される気がしてね。

 好きを公言している人はさ、むしろそんなにわたしはわたしと思う必要がないから、わたしの中の揺らぎを自覚し安いのでしょう。たぶん。読者として、どちらが成熟してるとは思わないです。
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by madozukin | 2009-02-20 02:20 | メモ
 困った人のことは、後始末を他の人の手に委ねることになった。

 さて、困った人は、わたしの姉弟に多少似通ったところがある。感情が不安定で僻みやすい。母親が健在なのに母親を求めている。自分に対して、よいイメージを保つことが困難なため、代償行為として依存可能な相手を探すといった共通項である。

 実際には、嬉しげにリクツを理路整然と並べている(理性的だと思われたいための演技)。甘えているように見えても母親に自分の本当の気持ちを語れないらしい(潜在的に母親への恐怖心がある)。自己イメージが脆弱なので、出来ない自分を責めすぎ、耐えきれなくなった時点で攻撃が外へ向かう(いつまでも全能感に囚われ続ける)。
 
 なので、切れたときのご本人は、これ以上我慢できなかったのだと推察しますが、この世のものとは思えない激昂ぶりである。幼児が思い通りにならずワーンと泣き出している状態。という自分が、フィードバックされれば見込みあるが、「こんなのはわたしではない」わけだから(思春期の人間が良くやるまちがい)、感情バランスを保つための犯人捜し【攻撃対象探し】が始まるものらしい。こえー。

 わたしのよくやるまちがいは、その相手にもっとやりようがあったのでは感じることだ。でも、今ちゃんと境界を守ってもらって分かったことは、わたしと関係のない向こうの衝動や強迫性を何とかしようと思ってはいけないということね。ほぅ。
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by madozukin | 2009-02-16 16:33 | メモ
 すごく残念なことがあった。とても大事にしてきたことを途中でお終いにしなくてはならない。相手の機嫌を取るのは簡単だが、わたしが精神的に不健康になるから、少なくともわたし自身はそこから離れることを決心した。

 彼女は、わたしの若い頃の母親そっくりで目眩がしそうだ。優秀で自信がなく人を信頼できない。自己認識が片寄っていて、それにそぐわないといきなり爆発するところ、でも、鳥肌が立つほど気味が悪かったのは謝罪していない謝罪風な文章が送られてきたから。どこまでも醜悪な自己表現。こんなところに自己表現はいらないわけで、謝るときも「ありがたくわたしの気持ちを受け止め給え」なんだー。すごいっ。

 そういうキャラクターを今度作ってみようかしら。現実には風邪でめげてます。
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by madozukin | 2009-02-13 00:38 | メモ
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 ネットの中と外と一人ずつ話を聴いて貰う。次は、自分ががんばらないとな。ここからよいしょと這いだして。そんなときに作った花のブローチ。。
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by madozukin | 2009-02-07 14:10 | メモ
 困るとお話を思い浮かべてしまう体質になりつつあります。それは、長いこと願っていた絵本体質ではないか。素晴らしい!

 今回ニンゲンが出せないのが残念です。大嫌いなあの人は、言葉は空っぽですが、パフォーマンスがすごいのでした。観察。ふつうの人は、お利口でいそがしいからナナメになんて走ってくれません。彼ならナナメに走り出します。粗暴だけど気は悪くないのだろうな。

 背景は、温度なんだなと思いました。

 タイトルの答なんですが、これが自分かどうかは、親との距離に拠るのでしょう。怪獣メールにご用心。
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by madozukin | 2009-02-06 01:33 | 制作日誌
 いまは、こころの整理より身体の調整かな。自分では、まだ大丈夫だと思い込んでいましたが、身体の方が先に悲鳴を上げました。金曜日に、京都でベニシア・スタンリースミスさんのお茶会に参加したのがいいタイミングだったようで、ひとの怒りに振り回されすぎる自分を振り返りました。ずっと嵐・あらしの連続だったのです。身近に相談できる人もなく、どうしたらいいのか分からなくなって取ったのは、うっすらと引きこもりでした。

 うっすらと引きこもりをやめて、明確な態度を取れるようになってきたら、最初のパンチが飛んできたのが先週でした。ちちおやそっくりな態度で、こころの真ん中にある幼い怒りを振りかざして、相手をコントロールしようとする弱い人間。こんなところでまた出会うとは。懐かしいやら、びっくりするやらです。

 前にも書きましたが、親密が分からない人のお願いは圧力で、譲歩は敗北らしいのです。いま、自分の中心に怒りがないことを、わたしはどこにいるとも分からない神さまに感謝するでしょう。怒りを無視せず、中心に置かなければ、怒りもまたちゃんと前向きの力を与えてくれます。爆発や地団駄ではなく何かを織ることが出来ます。きっと。
   
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by madozukin | 2009-02-03 02:00 | メモ