<   2009年 04月 ( 11 )   > この月の画像一覧

 【マリア様が絶対不滅のように、ひとは、理想のおかあさん像に蹴躓くのだ。】

 この数ヶ月いろんなことがありまして、ぐるぐるしたけれど、それって自分を信じられないことから始まっているようでした。自分の中の、共依存な気持ちにこんなに向き合ったこともないでしょう。よく絶対的な誰かが救ってくれないことに腹を立てていました。それは、大人なのに自分から逃げ出している人に反射され、無闇に腹が立つ気持ちとして、わたしの元へ返って来ました。
 
 こんなものは、雨の賀茂川に流しておしまいって、efishでパンとスープのセットを頂きつつぼんやり思いました。菜の花の咲いた川辺に、灰色の水がしぶきを立てながら流れ、ツバメが虫を探して飛び交っていました。
 全てを理解して欲しいのが子ども、全てを掌握しているつもりで滑るのが青年、大人は自分が何を知らないかを含んで判断を下せます。

 もう駄目だ思っていた人から真心のある手紙が届きました。返事は出さないでしょう。でも、また会えるように頑張りたいと思いました。
[PR]
by madozukin | 2009-04-27 22:31 | メモ
 こんなもの定義しなくていいです。言いたいことが言えなくなったら何かが変質したのでしょう。もしくは何かが終わったのかもしれない。

 そういう時間が終わったのだ思うとただ悲しい気持ちです。見苦しくどこまでも自分に都合のいいリクツを並べたあの人が羨ましい。過ぎた時間を戻すことなんてできないのに。わたしは、全然立ち直れていません。起こったことを何も気付かないまま通り過ぎるもう一人がにくたらしい。全部忘れて何もなかった振りができればどんなにラクでしょう。わたしは、そんな出来た人間ではないのです。

 「淋しい」人はしがみつきます。それは、信頼でも愛情でもない共依存な世界ですが、それで満たされているうちはそれだって必要なのでしょう。どっぷり共依存な家で育ったわたしが、そうじゃないものをもとめるなんて、お月さまを欲しがるくらい滑稽です。

 でも、あそこから離れたいと思いました。泣いて、泣いてもあそこから離れたいのです。感情がなくて、責任(志)もなくて、剥き出しに愛されたい欲望だけある感じがいやです。仲がいい錯覚だけ作るなら、お味噌汁を作るよりかんたんなのだけど。馬鹿だな-。
c0180752_30512.jpg

[PR]
by madozukin | 2009-04-23 02:53 | メモ
 ふたりのサビーヌがいる。若い頃の、透明感のある、人形やセーターを編みバッハも弾いたサビーヌ。スクーターも運転したという。しかし、兄の死や環境の変化に彼女の心は耐えられず、それは乱暴な態度として表出した。手を焼いた家族は病院を頼る。自閉症に対して理解が低かった当時、病院で拘束され薬漬けにされたサビーヌは、体重が三十キロ増え失禁し、自分のことも出来なくなったしまった。五年間そこにいた後、このドキュメンタリーの撮影者、姉で女優のサンドリーヌによって現在の専門施設に移される。

 画面に映るもう一人のサビーヌ。薬は、精神病院にいた頃のはんぶんになったけれど、飲まなくてはならない。セラピーの一環として家庭菜園の草抜きするのも面倒ですぐに休みたがる。不安になると奇声を上げる。怒るとかんたんに相手を撲とうとする。サンドリーヌに何度も「明日も会いに来てくれる?」と確かめる。

 いまのサビーヌが、かつての自分の映像を見たとき、表情が急変する。そのはげしい感情の動きにサンドリーヌが悲しいのかと尋ねると「嬉しいのだ」と答える。ママの生きていた頃だと振り返るサビーヌは、途中「病院」という暴力的な環境に置かれつつも、人間の尊厳を失っていなかった。身に起こっていることをちゃんと分かっている。

 最後に、サンドリーヌの、「もう一度妹と旅ができるだろうか」というモノローグでこのドキュメンタリーは終わっている。
 「自閉症」の症状や病質を知らないために起こった悲劇であるのだけれど、何というか、わたしは泣き出したサビーヌを見て損なわれなかったものもあると感じました。過ぎ去った時間、容姿、あるいは才能をいたむよりも。
[PR]
by madozukin | 2009-04-20 21:54 | 映画
 小さな女の子が、地べたに身体を折り曲げ、キノコのように小さなお尻をしゃんと上げて、格子の入った排水溝の暗闇をのぞき込んでいる。おかあさんがそれを見守っている。静かな良い風景。

 つくることは、迷子になることと似ていると思う。迷子になることは不安である。だから、つい知っている道を行きたいのだが、それでは目指している場所へは辿り着かない。長い助走がづづく。
 
 わたしの絵本は、あの格子越しの暗闇の魅力に負けているんだと思うのね。それでも、もしも絵本に生き残る余地があるのなら、おかあさんと女の子は、同じ空間にいてもちがう体験をしなくてはいけない。そうであって欲しい。

 描きたいものを描きたいな。仲よくするために仲よくしたいって、実は、すごく息苦しいことだ。
[PR]
by madozukin | 2009-04-16 01:32 | メモ
 パンダの
 りんりんと
 らんらんは
 なかよし
 双子のきょうだい

 いっしょにごはんをたべ
 いっしょにあそび
 いっしょにおひるね

 あるひ
 どういうわけか
 りんりんは
 らんらんと
 はなればなれ

 じゆうになった手で
 花を摘む
 両手でくだものをかじる
 むしを追いかける
 夢中になる

 りんりんは
 らんらんに
 どんなに楽しかったか
 はなしたいと思いました

 でも
 らんらんは
 えーんえーんとなきます

 どうして
 手をはなしたの
 わたしはこころぼそかったのに

 りんりんは
 らんらんに言いました
 ぼくはとてもたのしかった
 そのことを君に話したいおもったよ

 らんらんは言いました
 わたしたち
 ぜったいに手をはなしてはいけないわ

 りんりんはいいました
 ぼくは
 いつも 手を繋いでいるのはいやだよ

 いやだよですって
 わたしは
 とても とても心配したのに

 ずっと
 手を繋いでいると
 あかちゃんにもどった気持ちになるよ

 赤ちゃんで良いじゃない
 赤ちゃんは不自由だよ

 おひさまのみているまえで
 りんりんとらんらん
 はじめての大げんかをはじめました
[PR]
by madozukin | 2009-04-11 06:24 |
 もめ事は疲れるがいろんなことを教えてくれる。自分自身が理解されることを望みすぎなければ。その時、集団としてすこしだけ賢くなるのだと思う。
 幼稚園の砂場であろうと、硬い校庭であろうと、チャラけたキャンバスであろうが、理性という制服を着込んだ職場であっても人と人がぶつかっていくのだ。

 でも、近頃、管理者でもないのに管理者目線が多いと思いました。テレビやネットの目線に慣れすぎると世界は四角くなりがちです。擬似的に加工されたものを「わたしだわ」と思い込む滑稽。。
 相対性理論はすごいな。バンドの名前です。「わたし もうやめた 世界征服やめた きょうのごはん 考えるので精一杯 」とバーモンド・キッスの中で歌ってます。四角革命は、ネット世界の狂乱がたぶんテーマ。 

 さて、そういう人は、日常の中で、苦労して自分で自分を縛っているのでしょう。だから、うかつな人がひどく許せません。他人を攻撃してその代償を求めるということを必ずします。自己防衛のつもりらしいです。例の彼女は、わたしに怒りの巨大スノーボールを投げつけておいて、実際そう書いてきました。言葉をどんなに尽くしても、「わたしは苦しい」ところから一歩も離れられない弁明なんてそんなものです。
 
 その人のスタートラインは「わたしは苦しい」です。
[PR]
by madozukin | 2009-04-09 15:58 | メモ
 ある朝、いきなり憑き物が落ちる。前と同じではいられないことを知る。不思議さんは、たぶん、自分のこころと向き合いたくない。むしろ目を背けたい。

 さて、わたしは、一年近く不思議さんの招いた騒動にまたもや振り回されていた。またもやというのは、妹に振り回されて以来ということである。振り回されるのはこちらにも原因がある。わたしが、目を背けている部分と、彼女が目を逸らしている部分が合わさって、良くない共鳴を引き起こす。

 だから、彼女を責めても、わたしの問題部分が解決しないと意味がないのだ。

More
[PR]
by madozukin | 2009-04-08 01:53 | メモ

 あいまいでいい加減で適当なきおくの持ち主です。すみません。「豊穣には程遠く」つづきです。

 引用した物語の正確な題名は「影」といいます。アンデルセンの作品の中でも、異色な存在だと、訳者が後書きに書いています。http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031471927&Action_id=121&Sza_id=C0

 しかし、わたしが読んだのはこの本ではありません。アーシュラ・ル・グィンが「夜の言葉」の中で引用していた「子どもと影と」いう文章の中の粗筋でした。一度図書館へ行って、原作を確認したのですが、彼女の素晴らしい解釈の方で覚えていました。
 主人公は、詩人ではなく、学者になることを希望する若者でした。そこがいちばん大きな間違いです。

 今日は、図書館がお休みなのでいろいろ確認できていません。紹介のために引用した本は、わざわざデンマーク語の原書を引き寄せて訳したとありますから、全集に収められているものと訳の違いを比較するのもおもしろいでしょう。とにかく、この影のモチーフを育てて、ル・グィンは後に「ホピットの冒険」や「指輪物語」を書きました。

 いつまでも子どもを無邪気な存在と思いたい心弱い大人が苦手です。余談ですが、子どもも、自分のサイズに合わせた小さな影、格好良くない見栄えのしない生身の部分を持っていると思います。
 それともむかしのことなどお忘れか?
[PR]
by madozukin | 2009-04-06 01:59 | メモ
 厳密に自分の癖を検証し終わってため息をつく。

 いやはや。何というか、この経験を必ず肥やしにせねば、生きている甲斐がないというものです。
 おとな幼稚えんはシュールだと思いました。大人になることの境目は、経験を自分の物として引き受けられるか否かです。よい子が、どうして詰まらないかと言えば、経験することを避けているからです。彼等には、自分の情報(感情を司ることば)がありません。彼等の喋る言葉は、良い子とはどうあるべきかで、自分の経験と乖離しているのです。

 頭の皮がばりばり剥けそうです。良い子という繭を被っている内は、しあわせも不幸せもなく、ただ皆通り過ぎてしまうのです。折角の反逆もお茶を濁してお終い。たぶん。
 アンデルセンの書いた物で、詩人(*正しくは学者志望の若者)は、自分の影と一緒に旅に出るのですが、美しい女神にいる門へ影を残して入ります。だから、何も得ることなく出てきたのでした。というものを、先日、まざまざと見たような気がしました。ちょいとうろ覚えの記憶だから、後で書き直します。

 あの子にもさようならを言わなければならないのだろうな。今はお別れしなくては。想像もつかない結末が降りてきて、淋しいけれども、ああこれで思い残すこともないと清々しさがあります。
[PR]
by madozukin | 2009-04-04 03:10 | メモ
 事実を認めることは、なんて苦いのだろう。だから、モンスターは自分を隠す(守る)物語を作ったし、もう一人はただこころを痛めるばかりだった。わたしにしても、自分に都合良く考えたい。そんなに未熟だったいう事実である。

 あれが××であれば上手くいったのにということはない。観念は人を傷つける。
c0180752_148486.jpg

[PR]
by madozukin | 2009-04-02 14:07 | メモ