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 まず世界があった。神である父は天地を創造する。妻はその共犯者であり、三人の子ども達は、特筆に値する「例文」としてしかの世界を知らない。そこでは、猫はネコでなく、外部から敵である。食卓にある胡椒が電話であり、子ども達は、高い壁に遮られ、外の世界とは遮断されている。二人の姉妹と一人の息子。

 外の生活を知っている人間からしたら、楽園と言うより、ちょっとした収容所である。規律があって、競争と支配があるが、本当の意味の承認がない。後で分かるが、子ども達は、名前を持っていない。例えば、長女と呼ばれる。

 さて、思春期を迎えた息子に、父はそれを処理してくれる女性を連れてくる。父親が所有する大きな会社の従業員でもある彼女。お金を払い、目隠しをされ、その場所に連れて来られる。そして、ある切欠で、まるで聖書に出てくる蛇のように、子どもの一人に知恵の実を与えることになる。

 それは、映画のビデオであった。

 世の中には、固有の名前があり、その人として呼ばれる。子ども達とは呼ばれない。父と母が与えてくれる、食べ物と序列と、きょうだい間だけで繰り広がられる競争以外の世界の存在することを発見する。なんということだろう。

 表題でもある「犬歯」という原題は、父親が子ども達に教えた、犬歯が抜けたら家を出ても良いという規律に拠る。子ども達の犬歯は、永久歯で抜けるはずもないので、永遠にやってこない承認である。

 この収容所を悟ったとき、三人のうち一人は、どんな行動に出るか。子どもは必ず大人にならなくてはならない。あるいは、なるものなのだ。
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by madozukin | 2012-10-24 12:00 | 映画
 プクプクプク 
 うちの洗濯機は前衛的な二層式で
 隣は最先端の一層式だ
 その音声を知らないわたしは
 亀かカッパの泡を想像して
 プクプクプク
 役に立たなくて幸せなものをおもう
 プクプクプク
 プクプクプク
 そして、それだけ 
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by madozukin | 2012-10-23 17:36 |
 ことばを放棄する練習をしている。すべて無効になってしまった。丸裸だ。だから、イラクサの上着でも編まねばならない。そんなところだ。

 原発事故は理由になるだろうか。なるかもしれないし、ならないかもしれない。どちらにせよ時間は戻せない。リセットが効かない。そのことだけは明らかになって、時間が、コツコツコツとすすむ。まだ生きている。

 ただしさ、公平さ、秩序、それから電気。そう言うものは、安定すればこそ、維持できたシステムである。ただしさ、公平、秩序それから電気が失われ、まっぷたつである。ひとりの人間も社会も。何が悪い、何も悪くない。

 ひとの顔が醜い。自分の顔が醜い。それで。

 説法師が増えた。ニュースではない。統計でもなく、まさしくトラウマ回避の如く、細心の注意を払って。そう、回避だ。傷付かない人間は年を取らないだろう。いつまでも。

 想像してみる。想像できない人間は集まって嘆き悲しむ。どんなにかなしいかという娯楽だ。だから、わたしは悪い人間ではないと思える。そう、平凡な人間だ。

 イラクサの上着は、一人になって、内側に降りていくために。年を取り、何かを失い、それから自由になるために。罪状は、たぶん、いっしょになって嘆き悲しまないこと。弾劾を経て、その自由がやってくる。よろよろとやっと。
 
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by madozukin | 2012-10-18 09:27 |