2009年 08月 10日
希望か幻想か
小説とは、じぶんの解体作業ではないかと思う。じぶんのままだと、それ以上さすらえないもん。変容できる人は書く(それしかできないのかもしれないが)、変容できない人は指を咥えて憧れる(それだっていい時間だけど)、変容しなくてもいい人は気にしない(何が起こっても気付かないこともあるけど)。
ガラスの壁に、水性のペン(後で消せるように)で落書きした経験はたのしかった。空間が一変した。たまには、ノート以外のものに書くのもいい。じぶんが普段している作業について、肯定したり反省したり、四角い箱(じぶん)をこわすには、異質と出会うしかないと思う。存在を問われないと(すごく困らないと)、人は変わらないし、けれども下手をすると壊れてしまうのだ。
shin-biであったいしいしんじさんの生小説の時間。
ガラスの壁に、水性のペン(後で消せるように)で落書きした経験はたのしかった。空間が一変した。たまには、ノート以外のものに書くのもいい。じぶんが普段している作業について、肯定したり反省したり、四角い箱(じぶん)をこわすには、異質と出会うしかないと思う。存在を問われないと(すごく困らないと)、人は変わらないし、けれども下手をすると壊れてしまうのだ。
shin-biであったいしいしんじさんの生小説の時間。
by madozukin
| 2009-08-10 01:05
| コトバ