2010年 06月 12日
傷つかない世界
mixiは秘密ごっこだし、ツイッターは乗りと反りで、ブログは見解なのかどうなのか。媒体で、人格が結構変わるような気がする。じぶんのは分からないから、人を観察していると、どうもそんな気がする。
というわけで、mixiはしばしば重たくなりすぎるのである。秘密を強調しても、ごっごだと逃げてもいいのだが、読み手を想定できる辺りから、なんというかテキトーな秘密であることが収まりを良くする。
というわけで、ツイッターは受け止めすぎてはいけない。深刻は最もかっこう悪いのである。にもかかわらず、親しい人が欲しくて、どんなに有名な人でも誰かにツイットしているが、横尾忠則さんはゼロだった。格好良すぎる。
というわけで、ブログは完結する。mixiもツイッターも、読む他人なくして成立しない部分があるが、ブログは完結できる。
人は、しばしば傷つかない世界を求める。しかし、傷つかない世界とは、同時に変化を拒む世界でもある。傷つかない世界が強調されるとき、世の中は、豊穣さとはかけ離れ単調になる。
というわけで、mixiはしばしば重たくなりすぎるのである。秘密を強調しても、ごっごだと逃げてもいいのだが、読み手を想定できる辺りから、なんというかテキトーな秘密であることが収まりを良くする。
というわけで、ツイッターは受け止めすぎてはいけない。深刻は最もかっこう悪いのである。にもかかわらず、親しい人が欲しくて、どんなに有名な人でも誰かにツイットしているが、横尾忠則さんはゼロだった。格好良すぎる。
というわけで、ブログは完結する。mixiもツイッターも、読む他人なくして成立しない部分があるが、ブログは完結できる。
人は、しばしば傷つかない世界を求める。しかし、傷つかない世界とは、同時に変化を拒む世界でもある。傷つかない世界が強調されるとき、世の中は、豊穣さとはかけ離れ単調になる。
by madozukin
| 2010-06-12 00:27
| メモ